HITORIGOTO
真冬に水浴びした熊野の海
今週は、依頼作品を描くのに集中していた為、部屋に缶詰になりながら昼夜を問わずに机に齧りついていた。
やっとこさ、ひと段落し真夜中から描き終えた作品達の梱包を始める。ふと、先週までとの生活との違いを感じ、ひと休みしながら少し考えを巡らせた。
仕事で伊勢志摩に触れ、その足で友の遺作展に触れに和歌山へ。遺作展の撤去のお手伝いも兼ね、友の家族に世話になりながら数日間向こうで過ごした。
その間に3人の子供らとずっと一緒にいたのだが。振り回され、クタクタになった部分もあったのだが、自分より優先すべき存在を近くに感じ過ごす生活は、自分にとって大切なコトを教わるいい時間だった。
子供はとにかく可愛いというのは、半分本当で半分はそれだけでは済まない。という体験を沢山させてもらった。言うコトを聞いてくれないまではいいのだが、拗ねてしまった時は手がつけられない。そうゆう時に限って、こちらが嫌がるコトをし注目を集めたり、なかなか手間をかけた手法で屈折した表現を投げかけてくる。
それを見ていると、子供も大人も同じだな と気づかされる。やはり素直に自分の思いや気持ちを伝えるのは勇気が必要で、誰もが気づいてもらいたいという欲を、自分一人で大事に抱え込んでしまうのだなと改めて感じた。
友が空に旅立った影響もあり、拗ねって暴れ泣きだしてしまった時は、どうしようかなと頭を悩ませた。その時にパッと浮かんだのは自分の両親で、この子らと同じくらいだった頃、両親が僕にしてくれたコトを必死に思い返していた。
不思議なもので朧げな記憶を頼りに、僕は言葉よりも先に子供らを抱きしめ、手を引っかかれながら、気持ちが収まるまでずっと抱きしめていた。その後に怒鳴るわけでもなく、耳元で大人に話す言葉と同じように、相手の気持ちを聞き、自分がされたら嫌なコトをゆっくり伝え向き合った。本当に不思議は気持ちになってしまった。
きっと様々な方法があり、色々な対応の仕方があるのだと思うのだが。友達の子供と向き合いながら、両親が僕にしてきてくらたコトを誇らしく思い、少しだけ自分を作っている根源に触れれたように感じた。
起きる時間も、ご飯を食べるのも、お風呂に入るのも、全部が子供達が中心の生活のなか、時折出来る時間を大切に自分の仕事をする。ちょとだけだが、世の中のお父さんお母さんの気持ちに触れれた気がした。
そして、子供達の面倒をみつつ、友達を最後まで支え抜いてくれた友の奥さんに、改めて敬意と尊敬と感謝を伝えたい。
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今週は、依頼作品の制作に集中していたコトが重なり、お問い合わせのご返信に遅れが出てしまっております。週明けより、一つ一つ返していきますので、今しばらくお待ち頂けたら幸いです。ご返信をお待ちの皆様に、この場を借りてお詫び申し上げます。
by hirayama-kouichi | 2018-01-28 15:55 | HITORIGOTO